2020年12月29日火曜日

2020年振り返り

 毎年年末の恒例行事となっている、1年の振り返りです。

新型コロナウィルスが中国の武漢で発生したのが2019年12月でした。
それから数ヶ月もたたないうちに日本でも広がりを見せ、ついに4月に緊急事態宣言。

その後、第2波・第3波と押し寄せて現在に至っています。

ITの観点だと、非接触の形を取れるテレビ会議システムが一気にスタンダードに。
昔からあった仕組みではあるものの、やっぱり膝を付き合わせて話をするのが一番ええねん!という人が多く浸透していませんでしたが、新しい生活方式だ!となった瞬間に導入の動きが加速しました。

あとはテレワーク。
企業内LANへの接続、仕事のやり方はそれぞれですが、「自宅で仕事をする」というスタイルが定着しつつあります。
既成概念が一瞬で破壊された、そんな一年でした。

ただ、急な変化には戸惑いがつきもの。
私個人もテレワークなるものをやりましたが、ポジション柄どうしてもテレビ会議の回数が多く時間も長い。そうなると家族から「うるさい」「気を遣って疲れる」といった意見が出てきました。
マンション住まいで、自宅で仕事をする前提の間取りにはなっていません。家族の意見はごもっともです。
現在はテレワークも解除され、元どおりの仕事スタイルになっていますが、次にテレワークをしようものならちょっと場所を考える必要があるかもしれません。


PMというポジションで活動し始めてからもう少しで2年になろうとしていますが、PMらしいことは何一つしていませんしできていません。
昨年は2020年を「勝負の一年」と位置付けていましたが、勝ち負けで表現すると「完敗」でした。

PMとして何か一つでも成果を出せればよかったのですが、周辺システムはいくつか構築したものの、本丸となる基幹システムに対する成果を出すことができませんでした。
元々の期待値が基幹システムに対するものだったので、完敗です。

2021年は春先には現場が変わっている予定となっています。
次の現場こそは・・・と胸に秘め、変わらぬ精進を続けていきたいと思います。

2020年1月1日水曜日

2019年振り返り

早くも1年が経過し、しかも新年を迎えてしまいました。

2019年をざっと振り返ってみようと思います。

  • 現場が変わった
    3月末で当時の現場を離任しました。
    現場では約2年間過ごしました。関わった方々からとてもよくしていただき、そしておいしいお酒もいくつか学ぶことができ、仕事もそうですけど大人としての楽しみ方も覚えた、そんな期間でした。
    最終日には思わず涙・・・また飲みに行きます。

    そして、4月から新しい現場に入りました。
    それはそれは、荒れた現場でした。人間関係や仕事のやり方などとてもじゃないけど好循環とはいえない。
    原因は複数あり、そのうちの一つがリーダによる各担当者の適材適所ができていないことでした。
    とてもプライドの高い&気分屋の人で、不機嫌モードに入ったときはとてもじゃないけど付き合い切れない、そんな方でしたがドタバタの末、夏に退職。
    夏前ぐらいから新体制でリスタートするも、今度は発注先ベンダの残念さが露呈。
    進むものも進まない、という春先とは別の悪循環に陥りました。
    本番リリースしても不具合発生のため切り戻したり、ついには年末の納品期限を守れなかったり。
    年明けからの動きも要注意です。

    とはいえ、2019年は内外のウミを出し切って2020年に再度立て直すための準備期間だったのではないでしょうか。そう思わないとやっていけません。
  • プロジェクトマネージャーなるポジションになった
    4月から入った現場でなっちゃいました。
    PMの主な仕事といえば、各関係者との調整や折衝、プロジェクト進捗状況の確認といった上位レイヤ・・・だと思っています。

    いざフタを開けると・・・発注先がグダグダなこともあり、SEっぽいこともやっちゃってたりします。むしろPMっぽいことのほうが少ないかな?
    ルールも何もない現場なので、上からあーだこーだ言うよりもやって見せるほうが説得力があるということもあります。
新しい現場ではカオスな状態が続いていますが、その中にも未来への種まきと多々ありました。その中に、AWSを用いたマイクロサービス的開発サイクルへの取り組みもあるし、また密に接している方々がやっぱりいい人ばかりなので何とかやっていけています。
人に恵まれるのは幸せなことだな・・・と感じつつ、2020年はやはり勝負の年だと思い、変わらず精進していこうと思います。

2018年12月30日日曜日

2018年振り返り

毎年恒例(書いていない年もあるけど)、1年の振り返りであります。

まあ、今年もありましたね、いろいろと。
  • 転職
  • 部下を持つということ
これらが主なトピックだと認識しています。

  1. 転職
    一生に何度もない、と決めつけていたら二度目の転職活動を経験しました。
    前回と異なるのは、人のツテというものに頼ったこと。
    人の縁というのは大事ですね。見事に会社の移籍が実現しました。
    とはいえ、これがリスタート。移籍させてくれたからには、貢献しないと意味がないです。来年もまた、勝負。
  2. 部下を持つということ。
    新人から面倒を見ている場合だと、その人の性格だけでなく具体的にどんな経験をしたのかを把握できているので、次のプランを立てやすかったりします。
    現在の部下は、中途採用で2016年の夏から共に仕事をしている関係です。
    ので、現在の評価はあっても、どんな経験をしてきているのかが見えにくい。
    しかも三十代中盤という年齢もあって、考え方も結構固まっているときている。
    一方で本人の目指す方向性をもとに評価をすると、まだまだ物足りない。
    こんな感じの人をどのように教育するか、悩んだ1年でした。
    これからも悩むと思います。が、結局のところ、やるかやらないかは本人が決めること。こちらが悩んだあげく、何かを示しても本人に響かなかったら意味がありません。そんな割り切りも必要なのかな、と思った年末でした。
    来年からは若い子の面倒も見ていく見通しとなっています。今回学んだことを念頭に接し方なり伝え方なりを常に意識して考え抜いていく所存です。
元号が変わる・・・現場目線だと元号マスタへレコードを追加しないといけないのと、レアケースがないか調査することが春先のビッグイベントでしょうか。
この年末年始10連休と、GW10連休の過ごし方で何かと変わってくるかもしれません。
自分の働き方を少しずつ変えていくべく、日々精進しようと思います。

2018年7月22日日曜日

退職、そして新天地へ

本来なら、2017下期に対する振り返りをすべきでした。
ところが、下期の終わり頃から親会社の何かと不穏な動きがちらほらと見え隠れするように。

そして2018上期スタートと思いきや、何と何とグループ会社の再編だと!?
というわけで、同列のグループ会社への転籍か、退職して外に飛び出すかの2択を迫られることとなりました。

○グループ会社へ転籍した場合(主観で書いてますので間違ってるかも)

  • メリット
    • 現在と給与面はほぼ変わらない(給与算出ルールが変わるため、全く同額ということではないが、賞与による帳尻合わせをしてくれるとのこと)
    • 仕事内容も、本人が希望する限りは今のまま
    • 福利厚生が今よりもよくなる
  • デメリット
    • グループ会社とはいえ、ルールも変われば社風も変わる
    • 親会社の意向に振り回される・・・かもしれない
○グループ会社へ転籍しない場合(これも主観で書いてます)
  • メリット
    • 本当に自分がやりたいこととマッチしている会社が見つかれば皆ハッピー
    • 心機一転
  • デメリット
    • 給与が変わる(次の会社次第で上がりもすれば下がりもする)
    • 仕事内容が変わる、かもしれない
    • 福利厚生も、次の会社次第

私が選択した道は、「グループ会社へ転籍しない」でした。
とはいえ、ゼロから転職活動をするのもしんどいので、知り合いに片っ端から話を聞いていき、そして紹介してもらいました。
人のツテでの転職だと、デメリットで書いた部分のいくつかは解消されます。
例えば給与も、最初はさすがに下がりますけどやり方次第で再び上昇気流に乗せることが可能。
さすがに福利厚生は会社全体の話なんで、こればっかりは仕方ないです。

仕事内容も、運を天に任せた結果(笑)、何とか転職前後で変わらず。
おそらく今年の運気を全て使い果たしてしまったと思います。

今年の元旦時点を振り返ると、会社を変えるなんて 1mm たりとも想像してませんでした。
むしろ、ずっと在籍している前提で色々と動き回っていたし。

会社への意思表明後、淡々と退職日まで過ごしていましたが、事務手続きが雑すぎて退職日に受け取れるはずの書類が一切受け取れず。
それまでは複雑な思いを抱えていたのが一瞬にして吹き飛びました。何してんねんと。
その後の扱いも雑で、今となっては何を悩んでいたんだろう、とすら思っています。

新しく入社した会社では、伸び伸びと仕事をし始めました。
裁量は増えました。従ってプレッシャーも増えています(笑)
でもそれは自分で選んだ道。しんどくてもポジティブにいれるようにしたいです。


2017年9月30日土曜日

上期振り返り

今日で上期終了。
ここで一発、振り返ってみましょー。

4/3、さっそく有給取得。そしたら現場はパニック。
保守やったことない人ばっかりですもん、そりゃいきなり問い合わせ来られてもわからんわな。
というわけでチームリーダーという役割ですけど、管理だけでなく実作業でも引っ張ってく存在に。

で、今度はたくさんの見積依頼。あっちこっちから見積してよって連絡がたくさんきました。
仕事があるのはありがたい。でもね、全部納期が近すぎんねん、という恨みつらみは置いといて・・・見積もりマシーンと化していました。

夏。7 月からメンバ追加。これがトラップだった!
うちのチーム、ただ指示を待ってたりするだけじゃダメで、自分で考えて行動を起こさないと何もかも進まないんです。
どう動いていいかわからないときは「わからん!」と声をあげないとダメ。
それができない人を加えてしまい、またスキルも足りないんでかなりケツふきのために私がプログラミングしてみたり。

報・連・相はどんな業種でも必要なことだけど、全て間が悪くて失敗ばかり。最後には見放すしかなかった。
当のご本人もスキル不足は痛感したみたいだけど、具体的に何をどれくらいのスパンで改善していくかわかってないみたい。ダメだこりゃ。

でも、そんな人を現場に入れたのは私自身。これは大いに反省。
事前にお会いしたときに、いかに人を見れるようになるかが今後の課題となりました。

2017年3月14日火曜日

新規プロジェクト参画前夜

2016年振り返りでも触れていた、2016年度下半期で従事していたプロジェクトも2月末を以って無事終了、チームも解散と相成りました。

チームリーダーという役割を全うできたかはわかりませんが、一人の担当者ではなくマネジメント側として管理に専念、という立ち位置でやらせてもらいました。

ただ悔いが残るというか反省点というか、、、
2月に入ってドタバタもなくなり落ち着きを取り戻し、プロジェクト終結へ向かうと同時に自分自身でこの8ヶ月間の振り返りを心の中で始めました。
するとやっぱり、「たられば」の世界にどっぷりと浸かってしまって自己嫌悪。
負のスパイラルから抜け出せなくなって一人で病んでいきました。

特に「平成生まれの若者たちをうまく育てられたかどうか」について考えれば考えるほど気持ちが沈んでいくという。。。
あーすればもっと伸びたんじゃないか、こーすれば違った伸び方をしたんじゃないか。
8ヶ月間やってきたことは間違いではないけど、ベストでもない。

「たられば」で論じても何も生まれないのは頭では理解できているつもり。でもやっぱり、、、とか考えてしまうんですね。人の上に立つってこんなにもしんどくて辛いのか、とやっと理解できました。

次のプロジェクトでは、まずは後悔しないような選択をすること。その選択が間違った方向へいくこともあるでしょうが、それはそれで仕方なし。
幸いにも、平成生まれの若者1名と引き続き接する機会を与えていただきました。
今度こそは、の気持ちで明日 3/14(火) を迎えることとします。


2016年12月30日金曜日

2016年振り返り

前回の投稿から早6ヶ月・・・

2016年も残すところあと1日、ここで振り返っておこうと思います。

1月・・・ユーザさんの運用テストでてんやわんや
2月・・・引き続き運用テストと、その後の仕様変更の見積もりでてんやわんや
3月・・・運用開始後の問い合わせとかでドタバタ
4月・・・仕様変更対応でドタバタ
5月・・・離任に伴い引き継ぎでドタバタ
6月・・・1ヶ月だけのレンタル移籍先でドタバタ
7月・・・新しいプロジェクト立ち上げだったけど、この月だけは落ち着き払っていた
8月・・・いろいろと問題発生でドタバタ
9月・・・ヘルプで入ってくれた人が散らかしまくってドタバタ
10月・・・ここでDB変更かよ!という内容でドタバタ
11月・・・納品に向けてラストスパートしまくってドタバタ
12月・・・別チームと合流したけど絶賛炎上中でドタバタ

結局は、年間通じてドタバタしてたんです。
というかドタバタしてたのを言いたかっただけなんです。

上半期は、それまで長い時間を過ごしていた現場を離れたことが最大のハイライト。
あのまま続けていたらどうなっていたことか・・・
とにかく現場の雰囲気とかやりがいとか、マイナスの感情しか持ち得なかったのはいい思い出です。

下半期は現在従事しているプロジェクトのことであっという間でした。
サブシステム3つを請け負って、1つ目は何とか納品。
その後すぐに2つ目をやってたチームに合流しましたが、、、統制が効いてない状態でQCDどれを取っても最悪。
立て直しに貢献したと言えるかはわかりませんが、とにかく立て直しに尽力していました。
ここで学んだのは、管理手法というかプロジェクト運営に必要なこと。
あと、平成生まれの若者たちとの付き合い方というか接し方。
なかなか難しいです。

来年は来年で現在のプロジェクトが終了するし、その後もいろいろと状況が変化してくるかと思います。その中で自分にとって何が適しているか、皆にとって一番ハッピーな選択肢は何か、常に考えながら過ごしていきたいと思います。